研究成果

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ハワイ仏教文化財の調査に基づくデータベースです。

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※引用する際は、「ハワイ仏教文化財研究ウェブサイト(JSPS科研費基盤研究(B)JP20H01190)」からの情報であることを明記して下さい。

ハワイ日本仏教文化財の基礎研究・調査

◎笹岡 直美(立正大学仏教文化財修復研究・実習室)
安中 尚史(立正大学)
平井 智親(ハワイ日蓮宗別院)

 

1.はじめに
近代における日本仏教諸宗派の海外布教活動は、ハワイ・北米・南米・朝鮮・台湾・中国・満州・樺太・南洋などの国・地域において、日本人移民・日本人植民を主な対象に展開した。近年、日本仏教の海外における展開に関する研究が盛んで、特に日本の海外侵出に関連し、国家のイデオロギー的な側面を捉えて論じられているものが多い。1945 (昭和20) 年の太平洋戦争終焉を期に、日本人植民が実行された国・地域にお ける海外布教はほぼ断絶しているが、日本人移民が実行された国・地域においては、戦前からの継続が見られる場合が多い。この継続は寺院・僧侶・信徒たちの中に存在する仏教文化財についてもあてはまるが、これまで海外布教の研究においてほとんど着目されることが無かった。
こうした海外布教に関する研究調査中、ハワイにおける寺院の仏教文化財が多くの問題を抱える事が判明した。経年劣化やシロアリによる破損に適切な対応ができず、やむを得ず現状の維持もしくは安易な修理、さらに破棄がなされていた。また日系人檀信徒の多くが日本語を母国語としない世代であり、さらに檀信徒の多民族化によって、仏教文化財に残る日本語の情報を正確に理解できず、取り扱いに困窮していた。このような状況は、宗教的価値の損失、文化的な価値の損失、歴史的な価値の損失、仏教研究・移民研究にとって資料損失の危機といえる。
本研究は、学術的にも貴重な資料の損失を防ぐため、歴史・宗教・文化財を専門とする研究者の横断協力、所蔵者・管理者との協同体制の総合研究を行い、歴史・実態・継承方策を明らかにすることを目的としたプロジェクトの一環である。本発表では、ハワイのうちオアフ島における調査の一部を報告する。

 


2.ハワイにおける仏教寺院について

ハワイは日本から約 6200 km離れた太平洋上に位置するアメリカ合衆国の州で、大小 100 以上の島からなる。
現在、寺院が在所するのはハワイ島・マウイ島・オアフ島・カウアイ島・モロカイ島の4島である ※1 。
ハワイ州の日系仏教寺院は約90で、浄土宗本願寺派(34)、真宗大谷派(5)、浄土宗(14)、曹洞宗(9)、臨済宗(1)、
日蓮宗(5)、真言宗(13)、天台宗(2)、その他にチベット寺院や霊園施設などがある ※2。
1868 (明治元) 年に日本人は製糖業などに従事する労働力としてハワイへ渡航し、1900 (明治30) 年代までにハワイ全島の人口の4割を日本人移民と家族が占めるに至った。日本人移民の大半が仏教徒で、浄土真宗本願寺派が最初に渡航して以降、他の日系仏教教団も進出し日本人移民コミュニティーに寺院が建設され、移民労働者の精神的慰安に仏教は大きな役割をはたしていた ※3。
太平洋戦争中においては、日本人移民と日系アメリカ人は敵性外国人として強制収容され、アメリカ本土ほどではないものの、ハワイでも例外ではなかった。特に仏教・神道の聖職者や教師など日系人社会において中心的な人物がハワイ州内5か所の収容所へ送られた。戦中、各寺院は閉鎖されたところがほとんどであるが、戦後には在家仏教徒らの支援で再開を果たしている。
※1「JAPANESE BUDDHIST TEMPLES OF HAWAIIAN ILLUSTRATED GUIDE」(University of Hawaii Press /2012)
※2 2017 年 1 月現在、発表者調査
※3「仏教史研究ハンドブック」(法蔵館/2017)

 


3.ハワイの日本仏教文化財

ハワイは日本から約6200km離れた太平洋上に位置するアメリカ合衆国の州で、大小100以上の島からなる。
オアフ島在所の日系仏教寺院のうち、日蓮宗寺院の調査を報告する。

 

【ハワイ日蓮宗別院 NICHIREN MISSION OF HAWAII】(33 Pulelehua Way, Honolulu)
1912 (明治45) 年開創、ハワイの日蓮宗寺院として2番目に建立、現在は日蓮宗最古の海外寺院(最初に建立された寺院は廃寺)である。現在地は 1957 (昭和32) 年に購入した資産家の邸宅で、その庭園内に仮本堂で運営を開始後、現本堂は 2002 (平成14) 年に完成した。
調査点数 49(仏像 6・墨蹟 21・絵画 11・什器 5・資料 6)

 

◎真珠湾攻撃日本側犠牲者英霊簿
紙本帙(チツ)入 縦 33.5cm 横 24.5cm 厚 4.6cm
1941 (昭和16) 年の真珠湾攻撃で落命した日本兵の名簿で、最近までその存在は周知されていなかった。名簿は 1973 (昭和48) 年に日本在住の男性が作成し、ハワイ在所の日本仏教寺院に奉納を試みて断られ続けていたものを、ハワイ日蓮宗別院第10代住職が引き受け、現在まで格護している。

 

◎太鼓 木/革/金属 径 43.3 胴幅 16.3
胴に「盂蘭盆會供養 於ホノウリウリ監禁所」という一文が見え、オアフ島唯一の 強制収容所で使用されたことがわかる。ホノウリウリ収容所は 1943~46 (昭和18 ~21) 年まで使用され、2015 (平成27) 年にアメリカ合衆国の国史跡として指定された。太鼓は 1921 (大正10)年に信徒から寄贈され、本堂地下の倉庫に保管されていたのを 2017年 2月の調査で見出した。収容所名が入った物品はハワイ日本文化センターにおいても所蔵されず、収容所が存在したことを証明できる文化財として貴重である。

 

◎加藤清正像 木造/彩色/玉眼 像高 35.5
台座と旧厨子の銘文から熊本県の妙法寺で大正元年に開眼されたことがわかる。ホノルルにおいて熊本からの移民中心のコミュニティーが形成されていたことをうかがわせる。

 

【ホノルル妙法寺 HONOLULU MYOHOJI MISSION】(2003 Nuuanu Ave, Honolulu)
1931 (昭和6) 年創立の法華寺を前身とし、1953 (昭和28) 年に現在地へ移 転改称した。本堂は 1968 (昭和43)
年に完成した。
調査点数 25(仏像 12・墨蹟 3・什器 10)

 

◎鏧子 金属 口径 41.9 高 33.5
妙法寺に所蔵された経緯は不明、銘文に「永久二年」とあり真作であればハワイの仏教寺院に伝世する什器のなかで最も古い時期の部類 に属する。

 

【日蓮宗ワヒアワ教会 WAHIAWA NICHIREN MISSION】(2112-B-1 Puu Place, Wahiawa)
1948 (昭和23) 年にハワイ日蓮宗別院の支部として創立され、創立者の私邸を教会としている。現在は住職が
不在で、ハワイ日蓮宗別院の住職 が兼任している。
調査点数 18(仏像 6・墨蹟 3・什器 8・資料 1)

 


4.おわりに

ハワイの仏教文化財は概ね近世以降に作成され日本から持ち込まれたものが多い。中には古代や中世の銘を確認できる什器や仏像も伝来し、各宗派がハワイでの活動を重視していた片鱗を伺える。現代の日本ですでに失われた印刷物や写真も数多く残り、近代史を考える上での学術資料として貴重といえる。ハワイの仏教文化財は、海外布教研究の対象として着目されず、一部の所有者・管理者・研究者などが知るのみで周知されていない。本プロジェクトのように、文化財保存修復の研究者が積極的に関わることで、仏教文化財の現状が把握され、損傷や破棄を防ぐための手段や保管環境について所有者等に提案が可能となり、より良く仏教文化財が将来的に継承することになる。仏教文化財の所有者のみならず、信仰を寄せる人たちにも有意義なことであり、加えて海外布教研究にとっても、資料の損失が免れるための新たな取り組みとして、位置づけられると考える。他宗派寺院や墓地等にまだ多くの仏教文化財が存在し、ハワイ特有の気候や害虫(主にシロアリ)によって損害を被っている。今後は悉皆調査と合わせて、保存科学からの見地を加えた調査を行う予定である。

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